空を見上げて
12月20日になって数時間経った深夜、ベッドに寝転びながらふと窓を見ると月が綺麗に見えました。コールドムーンと呼ぶらしいその月は、2021年の満月としては最も地球から遠い位置で今年最小の満月だったそうです。
月並みな言葉でしか表せないけれど(月だけに)(・・・)本当にダイヤのような輝きで、この特別な日を月も祝ってるんだとなんとも贅沢な気分になりました。
自分のことを大雑把な人間だと思います。
雲ひとつない晴天、アスファルトに咲く花、大きな満月。日常に潜む"特別"を見事に見逃してしまうのです。
何も感じないと言った方が正しいでしょうか。ひとつひとつに一喜一憂することをやめてしまいました。大人になったからです。
単純に忙しくなって、しだいに心の余裕もなくなってしまったんでしょうね。本当につまらない人生です。
らしさって何なのか、よく考えます。
全てに余裕をなくして単調な毎日をこなすことは本望ではありません。私はもっと過激で苛烈で強く聡く鋭敏でありたい。
もし、こうありたいと願った姿でいられることが「らしさ」なら、私は浦くんを頭に召喚しているときがいちばん自分らしいでしょう。
年々生きやすくなってきているとは思います。ああしなければこうしなければの思い込みがなくなって感性が鈍ってきているのが自分でも分かるし。
体力も衰えている今、何でもかんでも傷ついて何でもかんでも喜怒哀楽をはっきりするのは疲れることだから、ある程度のスルースキルは大切になってくるんでしょう。だからこれでいい。
これでいいはずだけど、どうにもつまらない。
過激で苛烈で強く聡く鋭敏でありたい、そう願っているのに。本当に些細なできごとで絶望して死にたくなっていたあの頃が輝いて見えるほどに。
歳を重ねるごとに何も感じなくなっていくんだろうなと思うとそれがすごくさみしくてやるせなくて。まるで人生が色褪せていくような気分です。
でも、偶然耳にした音楽に、読んだ小説の一節に、カフェで見かけたいちご味に、浦くんを感じるとたちまち血流が激しくなって私の世界はちゃんと動き出します。
1ページしか載らないような雑誌の発売を心から待ち遠しく思ったり。
コンサートがあれば振りまかれた幸せにあてられてこちらまで微笑んでしまったり。
真意の読めない島動画もなんだどういうことだと頭を悩ませつつ暇があれば何度だって見たり。
本屋へ足を運んで、レポを漁ってまたは県外まで赴いて、携帯とにらめっこをする。
全てに諦めを孕んで大人になった私のあどけない少女の部分がここにあるのです。
浦くんを感じるたび私は死んでいなかったんだと思います。
ひとつの言動にこんなにも胸高鳴って、感情が踊り出す。言葉尻を汲み取ってこうじゃないかああじゃないかと考える時間だけは過激で苛烈で強く聡く鋭敏でいられるんです。
私が強く願った私でいられるのはひとえに浦くんの存在のおかげ。
仕事も学業もなにひとつ怠る気配を見せない浦くんのことが大好きで危うくて自慢で理想で心配でそれでも大好きです。
上手にサボることは悪くないことだと大人になるにつれて思う中で、どれも手を抜かずにやりきることに尊敬の念を堪えられません。
積み上げてきた十数年より刹那の瞬間がうずく。
戦士に憧れたあの頃のように少女心をくすぐられて、私は浦くんを好きでいる間ずっとちゃんと生きていられます。
怠惰ですぐにサボろうとしてしまうし、それを悪いことだと思う心さえなくなってしまいました。
でも浦くんを見ているとそれだけで横道に逸れたその想いを修正して、やはり頑張ることは美しいのだと再認識させられます。
日常の何もかもを感じ取れなくなった私にも、月が綺麗だということを教えてくれるひと。生きている実感をくれるひと。私を私らしくさせてくれるひと。
普段あまり年齢を感じさせない彼が17歳になると言われてもあまり実感がわきません。
それでもラジオで嬉しそうに誕生日の話をする浦くんはとても年相応で、彼にとって17歳になるということは大きなイベントのひとつなのでしょう。
きっと色んなことを強く聡く鋭敏に想う心の持ち主だから。
だから私もめいっぱいお祝いしたい。
浦くん、17歳のお誕生日おめでとうございます。
この気持ち、教えてくれてありがとう。
月が綺麗ですね。