ピリオドの彼方
あっれ~?!おかしいな~!ジャニオタ辞めたはずだったんだけどな~~~~???!!?!!(見覚えのある出だし)
ジャニオタ辞めたくせにノリで見たドリアイが良すぎて3ヶ月で出戻った2020年。そして3年後、万物は流転するもんね~~~~~!ヘラクレイトスってやっぱすげえや。
もうなんかオタク疲れちゃったしオタクという肩書きとさようならしたいな、の気持ちでオタ卒宣言をしたのが去年の夏終わりとかでした。
数えたら半年も我慢できてない。ウケる。堪えられなさすぎるだろオタクを。
この半年弱、浦くんのことを好きな気持ちは多分ずっとあって、情報は全然追えてなかったけど顔を見ればしゅきめろでぃ~・ダンスを見ればしゅきめろでぃ~・思想の強さに特大しゅきめろでぃ~(IQは0以下で♡)とはなっていたんですが、まぁ、あのー、現実に好きな男が、、出来まして、、、
ちょっと正直そちらに熱中していたわけです。
オタクスタンスが"記録"なので「現実の男ってなんの媒体で理解を深めればいいの?!」「デートの記憶ってなんで円盤化されないの?!」とか新しい世界はドギマギ☆刺激強めのワンダーランド!って感じで楽しかったんですが、
如何せん"記録"のオタクスタンスが足を引っ張り、全てを覚えていられないことも、そもそも好きな人の雑誌が発売されないことも(?)、かなりのストレスで。
他にも色々ありましたが一言で説明するなら冷めました。
つかテキストが存在しない人間をどうやって好きになれって言うんだよ?!!!我、テキスト厨ぞ!!?
現実の男とデートしたり夜通し喋ったりスキンシップや可愛いって言われることもそりゃ楽しかったし舞い上がったけど、ひとりの人間が纏ったアイドルという鎧をじっくり深々と考察すること以上に生きていることを実感することってないです。
突然、なんでだか分からないけれど本当に突然、浦くんってやっぱり可愛いよな~と思って。誘ってもらったアンビリーバボーでの浦くんのあれやこれを反芻しているうちに、やっぱり浦くんについて考えたい!と思って。
好きな人と会うとき、念には念でオタバレしそうなツイッターとかはてブロとかアプリごと消していて、消したまま忘れていたはてなブログを再インストールして自分のブログを読み返したとき、
私そういえば浦くんのこういうところがめちゃくちゃ大好きだったよなっていう記憶たちが走馬灯のように思い出されて涙が出てきました。
一度あったことって本当に忘れないんだ。銭婆、そういうことだったんだね……。
ドラマ出演をオーディションで勝ち取ったとき、「応援してくれているみんなのことが思い浮かんではやく伝えたいと思いました」ってコメントしてた浦くんとか、そんな浦くんに想われるオタクになりたいって思ったこととか。
ジャニーズに入った理由を「親戚の勧めもあったけど最終的には自分で決めて自分で書類を書いたから、総じて言うと自分の意志」と答えた浦くんとか、それに対してこんなにも懇切丁寧に入所理由を最初から最後まで教えてくれるひと初めて!って微笑んじゃったこととか。
それでも全ての選択の最終決定権は自分にあることをまだ10代ながら自覚している責任感に痺れたりとか。
アンビリーバボーの未成年の主張で「クイズ王になりたい」ってでっかく潔く決意表明していたのを見て思い出したことがあります。
AmBitious結成当初「頭脳はあまり前面に出さないでおこうかな」って言ってたんですよ。
「本当のインテリは"インテリ担当です"とは自分で言わないので(笑)」っていうなんともちょっとひねくれた理由を添えて。
私はそれをインテリ担当にはなりたい本心はあるけど見せびらかさないでいくっていうことなのかなって解釈したんですが、今では決意表明にするほど見せびらかしてくれているんだと思ったら嬉しくてたまらなくて。
舞台のワンシーンという半ば強引な宣言ではあったけど、元々夢や目標を大っぴらにするほうでもなかった浦くんが大々的に夢を教えてくれること。
考えを捏ねくりまわしすぎて回りくどくなってることもある浦くん(とても可愛い)が簡潔に言い切ってくれること。
そしてそんな無防備な自身を委ねられる環境があるということ。
これまでの全てと今に至るまで、そして今この瞬間とこれからを出来る限り取りこぼしたくないなってそう思ったんです。ずっと見ていたいなって、心から。
ということで人間に備わった偉大な機能"忘却"をまたしても使いこなせなくなった欠落人間、オタクに出戻ります。
何度思い出せなくなったって浦くんのことは忘れられないんだね。
純真デザイア
俳優としての舞台出演は本作品が初となる。
舞台『今度は愛妻家』の浦くんの紹介一文の最後に書いてありました。
"俳優として"・・・そっか、浦くんってアイドルとして起用されたのではなく、俳優として舞台に立つのか・・・。
まってむりわろたかっこよすぎて草。
私の全語彙を総動員して今の感情に見合った言葉を選ぶとこうなります。
どうやら人間ってこの5単語で生きていけるっぽい。
アイドルを天職として生きる浦くんが俳優で抜擢されたの、このかっこよさどうやって伝えたらいい?
暗殺教室で出てくる「第2の刃を持たざる者に、暗殺者の資格なし!」って台詞が好きなんですけど、浦くんって第2の刃どころか第5の刃くらいまで持ってそうですよね。
長所として武器にするべき"第1の刃"はもちろん、それ以外の"第2の刃"を磨きなさいってそういう話なんですけど、浦くんってどうにも隠しているだけで戦える武器を持ちすぎている。
得高い千手観音だってこれ見よがしに自分の腕を掲げているのに(?)、浦くんは見せびらかしたりしない。
千手観音は菩薩だから浦くんって如来なのかも!(※如来は仏のトップらしい)
AmBitious結成してすぐのインタビューで「頭脳はあまり前面に出さずにおこうかな」って言った浦くんが大好きなんですけど、
その理由が「本当のインテリ担当は"インテリ担当です"とは自分で言わないので(笑)」なの、理性のもとに欲望を支配していてすごい。
インテリ担当になれる気質があると自覚しながら、それを自分で売り出さない選択ができるんですよね浦くんって。
その売り出さない理由に"本当のインテリ担当になりたい"という欲があるのも、その欲を表向きには見せないのも、浦くんの賢さだなと思います。
我々は結局、浦くんの手のひらで転がされるしか道はないわけです。
どんな分野の偉人になりたいかを取材されたときにも、その質問に真摯に答えた上で、「でも偉人って周りに評価されてなるものなので、自分で○○偉人とは名づけません。」ってマジレスしていたり、
周囲に認められてこそ一人前!みたいな、周りからの評価に一定の欲を垣間見せるんですよね。
だから浦くんが自分の武器を見せびらかさないのにも、なにかしらの欲とそれに基づいた理由があるんだと思うんです。
普段は理性を伴って大っぴらに公開しない第2の刃が日の目を浴びる時がきたのだと思うと、これ以上ないほどにワクワクします。
「あとお芝居が好きやから、ジャニーズ以外の舞台に出るのも憧れやねん。」
AmBitious結成を知らされるよりも前からそう語っていた浦くん。今回の舞台は念願叶ってのものでしょう。
今、AmBitiousの勢いがすごいことに対して、推されはいいよねってやっかんでくる人もいるし、浦くんが掴み取ったこの舞台も推されの一環だと思われても仕方がないのかもしれません。
それでも、今までのジャニーズ舞台やジャニーズドラマでオーディションをかいくぐって目立つ役をいただいてきた浦くんの功績は消えないし、
今回の舞台がオーディションであろうとそうでなかろうと彼を推薦するなりオーディションに参加させるなり、浦くんに期待した大人が確かにいるはずで、
その期待は間違いなく今までの浦くんが手繰り寄せてきたものだよなと、しがないオタクは思います。
チャンスはどこにでも浮いてるけど、それをつかむかどうかは自分次第
浦くんが好きな言葉に必ずと言っていいほどあげるこの一文。
自分の行動において一端を担いでいるのは自分であるという意識の強さを感じます。責任感があるんでしょうね。
ジャニーズに入った理由を聞かれて、「親戚の勧めもあったけど最終的には自分で決めて自分で書類を書いたから、総じて言うと自分の意志」と答えた浦くんもそう。
自分の人生の最終選択権は自分にあるのだと10代半ばで気づいているんですよ。すごくない?
そんな浦くんだからこそ、外部舞台への出演をもっともっとでっかく誇っていてほしい。
浦くんが自分自身で決めて歩んできた人生の結果のひとつだと思うんです。
公式が言うには俳優・浦陸斗の初舞台なわけですが、アイドル・浦陸斗はきっとこの活動をアイドルとして還元してくれるはず。そう思えて仕方ない。
自分に備わった素質をあえて売り出さない選択をできる聡いひと。でもそれは"アイドル"を主軸に戦いたいと思っている証拠なような気がします。
どうかこのお仕事がキラキラアイドルが好きでキラキラアイドルを目指す浦くんの強みになりますように。
改めて、浦くん、舞台『今度は愛妻家』出演決定おめでとうございます。
チャレンジしたいことにお芝居をあげていた浦くんが、こんなにも素敵な環境で夢に挑戦できることを心から嬉しく思います。
17歳という若さで、大人だらけの世界に、浦陸斗個人として飛び込んで、きっとまた一段と大きく成長するんでしょう。
頼もしくて誇らしいその姿、見届けさせてください。
空を見上げて
12月20日になって数時間経った深夜、ベッドに寝転びながらふと窓を見ると月が綺麗に見えました。コールドムーンと呼ぶらしいその月は、2021年の満月としては最も地球から遠い位置で今年最小の満月だったそうです。
月並みな言葉でしか表せないけれど(月だけに)(・・・)本当にダイヤのような輝きで、この特別な日を月も祝ってるんだとなんとも贅沢な気分になりました。
自分のことを大雑把な人間だと思います。
雲ひとつない晴天、アスファルトに咲く花、大きな満月。日常に潜む"特別"を見事に見逃してしまうのです。
何も感じないと言った方が正しいでしょうか。ひとつひとつに一喜一憂することをやめてしまいました。大人になったからです。
単純に忙しくなって、しだいに心の余裕もなくなってしまったんでしょうね。本当につまらない人生です。
らしさって何なのか、よく考えます。
全てに余裕をなくして単調な毎日をこなすことは本望ではありません。私はもっと過激で苛烈で強く聡く鋭敏でありたい。
もし、こうありたいと願った姿でいられることが「らしさ」なら、私は浦くんを頭に召喚しているときがいちばん自分らしいでしょう。
年々生きやすくなってきているとは思います。ああしなければこうしなければの思い込みがなくなって感性が鈍ってきているのが自分でも分かるし。
体力も衰えている今、何でもかんでも傷ついて何でもかんでも喜怒哀楽をはっきりするのは疲れることだから、ある程度のスルースキルは大切になってくるんでしょう。だからこれでいい。
これでいいはずだけど、どうにもつまらない。
過激で苛烈で強く聡く鋭敏でありたい、そう願っているのに。本当に些細なできごとで絶望して死にたくなっていたあの頃が輝いて見えるほどに。
歳を重ねるごとに何も感じなくなっていくんだろうなと思うとそれがすごくさみしくてやるせなくて。まるで人生が色褪せていくような気分です。
でも、偶然耳にした音楽に、読んだ小説の一節に、カフェで見かけたいちご味に、浦くんを感じるとたちまち血流が激しくなって私の世界はちゃんと動き出します。
1ページしか載らないような雑誌の発売を心から待ち遠しく思ったり。
コンサートがあれば振りまかれた幸せにあてられてこちらまで微笑んでしまったり。
真意の読めない島動画もなんだどういうことだと頭を悩ませつつ暇があれば何度だって見たり。
本屋へ足を運んで、レポを漁ってまたは県外まで赴いて、携帯とにらめっこをする。
全てに諦めを孕んで大人になった私のあどけない少女の部分がここにあるのです。
浦くんを感じるたび私は死んでいなかったんだと思います。
ひとつの言動にこんなにも胸高鳴って、感情が踊り出す。言葉尻を汲み取ってこうじゃないかああじゃないかと考える時間だけは過激で苛烈で強く聡く鋭敏でいられるんです。
私が強く願った私でいられるのはひとえに浦くんの存在のおかげ。
仕事も学業もなにひとつ怠る気配を見せない浦くんのことが大好きで危うくて自慢で理想で心配でそれでも大好きです。
上手にサボることは悪くないことだと大人になるにつれて思う中で、どれも手を抜かずにやりきることに尊敬の念を堪えられません。
積み上げてきた十数年より刹那の瞬間がうずく。
戦士に憧れたあの頃のように少女心をくすぐられて、私は浦くんを好きでいる間ずっとちゃんと生きていられます。
怠惰ですぐにサボろうとしてしまうし、それを悪いことだと思う心さえなくなってしまいました。
でも浦くんを見ているとそれだけで横道に逸れたその想いを修正して、やはり頑張ることは美しいのだと再認識させられます。
日常の何もかもを感じ取れなくなった私にも、月が綺麗だということを教えてくれるひと。生きている実感をくれるひと。私を私らしくさせてくれるひと。
普段あまり年齢を感じさせない彼が17歳になると言われてもあまり実感がわきません。
それでもラジオで嬉しそうに誕生日の話をする浦くんはとても年相応で、彼にとって17歳になるということは大きなイベントのひとつなのでしょう。
きっと色んなことを強く聡く鋭敏に想う心の持ち主だから。
だから私もめいっぱいお祝いしたい。
浦くん、17歳のお誕生日おめでとうございます。
この気持ち、教えてくれてありがとう。
月が綺麗ですね。
ほなまたな!
なにわ男子が関西ジュニアを卒業する。
「デビュー」の響きはそれはそれは煌びやかでなにわ男子にぴったりだと思う。でもどうしてだか私は「卒業」の言葉をつい選んでしまう。
振り返れば西とは大したご縁のない人生だった。
生粋のショタコンである私にとって、可愛い子入ったらしいよ!うわ~~~今回も豊作!超可愛い!とまだ自我の芽生えない少年たちを遠くから愛でることは東も西もなく息を吸うようにするもので、それ以外の関係は特になかったと思う。
なにがどうしてこうなったのか関西ジュニアの一員を応援し始めても、彼が関西ジュニアだという事実にはてんで興味がなくて。
思い入れもなければ意味も持たないその括りに、周りが「家族感!」と感涙しているのを遠巻きに眺めていた。
私にはきっと分からない世界なんだな。
だって私が彼を好きになったのは関西ジュニアだからでもないし。彼にしか興味ないし。彼の周りがなんであれどうだっていいし。
今までの応援方法に一貫性はなくて、箱推しをしていた時代も自担至上主義な時代もあったから、別に箱で好きになれない欠陥を持っているというわけでもなかったけれど。
関西ジュニアを浦くんの箱として見ることにピンときていなくて。
本人は甘える人には甘えると言っているし実際そうなんだろうけど、先輩にも「浦くん」と呼ばれているところを見ると、やっぱり彼のことを一匹狼になってしまいそうな気質を持つひとだなと思うし、そんな浦くんにこちらもわざわざどこかに属していてほしいだなんて思ってもいなかった。
その気持ちが明確に変わったのはジモダンのときのインタビューだったと思う。
まさやとこたちゃんと浦くん3人での座談会だったんだけど、まさやがこの3人のことを「周りを見ている」って言っていて。
こたちゃんやまさやが周りを見ているというのは分かるし、浦くんが周りを見ているのもすごくよく分かるけど、それをオタクじゃないいち先輩が気づいてくれているのがとてもとてもうれしくて。
うれしいのと同時に浦くんの居場所は関西ジュニアなんだなと肌で感じた。
後輩にいたら出来すぎていてどう接していいか分からないし、自身もあんまり媚売ったり先輩だからどうこう考えるひとじゃなさそうだし、独特の空気あるし難しいなって何も知らないオタクは思うけど、それをうまく汲んでちゃんと向き合ってくれるのは関西ジュニアだからこそなんだって。
それから関西ジュニアを浦くんの居場所として愛おしく大切にしたくなっていった気がする。
だからあくまで私にとっての関西ジュニアは浦くんがいるからこそのもので、浦くんの居場所というだけだった。そのはずだった。
なにわ男子がデビューを発表して、あっという間にデビュー日目前になって。
ジュニア最後の日に出演するベストヒット歌謡祭に関西ジュニアが大集合という情報を目にしたとき、この7人が関西ジュニアではなくなるんだという事実をまざまざと思い知らされたとき。
浦くんが大集合のメンバーに名を連ねるうれしさと同じくらいに自分の心にあるさみしさかなにかを感じ取ってしまって、そこからはなぜだか涙が込み上げてくる。
いつからだろう。こんなにも関西ジュニアに入れ込んでいたのは。自分でも気づかなかった。
浦くんの居場所 だけじゃない。
関西ジュニアという場所で行われてきた魂の継承。
私が知らないずっと昔から、繋いで繋いで繋いでそうやって続いてきた縁がここにはある。
私はそんなDNAみたいな関西ジュニアごときっと愛してしまっている。
誰々がいるから好きだとか、そんなの超えて。
そこに彼の名前があるからというのは大前提で、皆が繋いできたから、受け継ぐ人がいるから、そのバトンとバトンタッチの経緯を愛してしまっている。
あぁ、だからきっとこんなに涙が込み上げてくる。
偉大な同志の門出はめでたくもさみしい。
そしてこんなにも上手く繋がったバトンタッチの儀式を目の前にして感動している。
そう、これは、感動。さみしさと感動の涙。
なにわ男子が関西ジュニアを卒業する。
関西ジュニアのバトンを渡して次のステージへ旅立っていく。そんな記念には「デビュー」よりも「卒業」の方がしっくりくる。私にとっては。
この先に不安がないのは折れずたゆまず築かれた確固たる土壌あってのこと 総合点で判断されるアイドルというカテゴリーにおいて偏りを見せず正しく突き進んできたことはもっとずっと誇っていい そこで偉ぶらないのも魅力だね 親しみやすくそして華やか なにわ男子デビュー決定おめでとうございます
デビューが発表された日にしたツイートに今も自分で頷く。
関西ジュニアを愛せる場所として認識できたのはなにわ男子がいたことが大きかった。
直接的な関わりはなくても、彼らが作り出す雰囲気や間違いのない継承に見事にやられてしまったんだから。
まだちょっと気が早いけど昂っているうちに言わせてください。
なにわ男子のみなさん、デビューおめでとうございます。
あなたたちのいない関西ジュニアというのはおそらくちょっとさみしくて、それでもきっと豊かでしょう。
私はあなたたちが繋いだ関西ジュニアをあなたたちごとこれからも愛すると誓います。
野心的物語
心臓がゆっくり それでも力強く ドクドクと鼓動しているのが聞こえて、あぁ私は生きているなと実感する。
騒ぎになっていたであろう頃にはもう既に就寝していて、なんだか今日は目覚めがいいなと思いつつ起きた今朝。
パッと見たスマホの表示は大量の「浦くん」で埋め尽くされていた。
どの連絡を読んでもふ~んそうなんだ~程度にしか思わず、ひとつひとつに「浦くんってそこに組み込まれるんだね~」などと呑気に返事をして。
ひとりで昼食をとりながらふとやばくね?と慌てだし今に至ります。やばくね?(遅くね?)
え、どうしよう
ついこの間、グループに入ってますか?と聞かれて「いいえ」でなく「まだ」と答えた浦くんにそんな野心家なところとっても素敵!と騒いでいたばかりなのに。
なにわツアーの配信で赤チーム助っ人選抜されたり18兄のリーダーを任された浦くんに、大人の信頼勝ち取っていてそんなところが信用に値する!とときめいていたばかりなのに。
デビューが発表されて関ジュはどうなるんだろうという不安よりも、浦くんなんかやってくれそうでワクワク!と楽しみの気持ちでいられたのもついこの間なのに。
え、これ全部伏線でしたか?少年ジャンプですか?
浦くんの行く道に浦くんが咲かせた花たちを写真に収めてアルバムにしてまた同じ種類の花と出会えたとき少しでも成長していたらすごくうれしい、みたいな……
活躍の産物が伏線となり知らずのうちに回収されているとこの上なくテンションが上がる。今それ。
浦くんを応援してきた短い時間で「これは伏線回収……!」と勝手ながら思えた小さなエピソードは数個あるけど、今回のが今までいちばん。特大伏線回収。
自分の目標はあまり口に出さず不言実行をする浦くんが初めて教えてくれた「……ボクらもユニットを組んでみたいです!」って言葉。
「……」に表れる言い淀んだ感と「!」で締める堂々さには不安とそれでも意志の強さが見えて。
そんな大きな目標が今叶って、こうやって浦くんのアイドル人生は紡がれていくんだなと思った。
浦くんが強く凛々しく活動していく中で、彼自身が教えてくれたり私が感じとったりしたひとつひとつがどんどん積み重なってそして大きくなっていって。
たまにあんなこともあったよねなんて思い返したり、そうやってずっとずっと繋がっていく浦くんの物語。
1ページまた1ページと刻まれたそれを今読めていることがどれだけ幸せか……。
鳴り止まない鼓動が、浦くんがグループ結成をした同じ瞬間に私が生きていると教えてくれる。
生きててよかった 本当に。
これからも同じ時を分かち合えたらうれしくてたのしくてしあわせ。
浦陸斗くん グループ結成おめでとうございます。
「野心的」という言葉がぴったりなあなたに花束を。
救世主宣言
白状します。
好きなものほど終わりを考える癖があります。
白状します。
飼い猫がいつか死んでしまったとき果たしてどうしようと不安になるのと同じように、浦くんがジャニーズからいなくなってしまったら……を考えたことがあります。
白状します。
信頼のアイドルと思う一方で、聡明であるがゆえに見切りをつけるのだって早いんじゃないかとか、たとえば落ち込むことが続いたとき忍耐が持たなくなる日が来るんじゃないかとか、頑張り屋さんだからこそ絶望してしまわないかとか、要らぬ心配をしていました。
つい、本当に、さっきまで。
今月発売のPOTATOに勝たんコンに帯同している18年兄組のリーダーを浦くんが任されたという話が載っていて。
多分それがきっかけだと思われるんだけど堰を切ったように嬉し涙が止まらなくなって。
浦くんにまつわる何もかもが嬉しくてたまらない状態。いつもそうだけど、いつも以上に。
信用していなかったわけじゃないし、何度でも言うけど信頼のアイドル それは違わないけれど。
彼の身近な人がリーダーを任せてみよう!勝たんコンMCのコーナーに出してみよう!と判断したことが信頼のアイドルの信用性をより高めたし、浦くんの仕事に対する姿勢が全て報われたような気分になったんです。勝手に、私が。
疲れたりうまくいかないことがある時目標を見て一回気持ちをリセットすると語った浦くんを、なんか受験生みたいだなこのひとってすごく良い意味で思っていたんだけど、
受験生には期限があるもの でもアイドルには決められた期限はなくない?って考えたとき、まず率直にしんどくないのかなって心配になり。
忍耐力が試される考え方だなと思ったとき、いつまで我慢できるんだろうって心配になり。
ずいぶんと勝手に不安になっていたわけですが。
そんな心配が現実になる気配もなく、浦くんは前進を止めない。
あんまり「報われる」って言葉をアイドルに積極的に使う方じゃないんだけど、これは私自身が報われているんです。私の不安は杞憂だったよって。
それがも~~~~~~~~うとんでもなく嬉しくて嬉しくて。浦くんが任せてみようと思われるひとだってことも、信頼に信用性がますます増えたことも、私の当てにもならないネガティブ思考を救いだしてくれたことも。
「チャンスはどこにでも浮いてるけど、それをつかむかどうかは自分次第って思います。」
チャンスを掴むかどうかは自分が行動するかどうか、とも捉えられるあくまで自責なこの考え方は崇高でまぶしくもどこかで自分を追い詰めてしまわないかと思っていました。
私はチャンスを作り出しているのは紛れもなく浦くん自身なのだと独自解釈しているのですが
チャンスを作ろうと日々精進する浦くんが一歩一歩着実に歩みを進めていることが、私の予想を裏切り期待を超えました。
初めての経験でなんだかこそばゆいけれど、浦くんはどうやら私の救世主らしい。
彼が前進するごとに、私も頑張らなくては!と奮い立たされます。
今までそんなこと一度もなかったんです。
いつもアイドルを言い訳に生活を諦めてきた人生だったしそれが私の普通だと思っていたし
そうではなくて日々を頑張る気力をくれるアイドルなんです、浦くんは。
最初は「好き!」だけで成り立っていた不安定な気持ちだったのかもしれない。今振り返ってそう思います。
どんどん「好き!」が肯定されるエピソードたちが出てきて、不安定な気持ちは補強されていって、浦くんへの「好き!」がガッチリ強固なものになって。
あぁもう 後戻りなんて出来ないんだな。
そのことを嬉しく思う自分がいます。
浦くんを想って流す涙がこんなにもあたたかいものになるだなんて想像していませんでした。
大好きでたまらなくてはらはらと泣いて。
このひとをいちばんに応援しよう!と決心したあの日、幸せだけじゃないもっと混沌とした気持ちで流した涙が、こんなにも幸せ一色になるなんて。
白状します。
好きなものほど終わりを考える癖があります。
だけど、幸せにしたいのでも幸せにしてほしいのでもなくただただあなたの幸せを願っている今この時間はかけがえないもので、終わりよりもこの幸せな瞬間を信じたいとそう思えます。
この感情をなんと呼びますか?
世間一般の解釈と違っても、平凡だと言われても、私はこれを「愛」と呼びたいのです。
あるがまま
言葉を尽くしてお祝いしようと思っていたのに、ひとたび書いては消しまた書いては消しを繰り返して頭を捻ってしまう。
言いたいことはたくさんあれど、その全てが彼を表しているようで表していない気がする。
目をかけてからずっと感じてきたこと。こんなに難しいアイドルには初めて出会った。
何かを言語化するのが好きだ。アイドルに関しては特に。
そんな私でも言葉を与えるのに迷ってしまう偶像。
ここ最近はいつもそんなふうに思っている、彼のことを。嶋崎斗亜のことを。
17歳になりたてほやほやで好きになった。
軽い気持ちだった。リトルかんさいの中ではまあ好きかな、程度の。
そのあとすぐにこんなはずじゃなかったと頭を抱えることになる。「こんなに好きになる予定じゃなかったのに」
初めて認識した17歳の彼は憂いのアイドルだったように思う。
どこか悲しげでなんとなく不安そう。
力強く周りを鼓舞しながらも、その言葉は自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
今思えば、座長という大役を初めて同然にこなしていたのだからそれもそうかと納得するのだけれど。
知れば知るほど分からなくなった。
メンバーからもスタッフからも天真爛漫さを伺わせる話をよく耳にしたし。実際そういうひとなんだと思う。
それでもアイドルに務める彼はどうしても儚く見えて。
なんでなんだろうか、あの今にも壊れてしまいそうで恐ろしくなるような感覚を持ってしまうのは。
選ばれない仲間がいる中で自分が選ばれた側にいることや、その中でも誰とも分かり合えないセンターという立ち位置を任されることだとか
それに対してのどうにもならなさもどかしさは少なからずあるような気がする。というか、そんな気がしていた。これは過去形。
斗亜は儚く可憐で美しい。
それは未来永劫変わることのない事実なんだと思う。
でも斗亜には自信がある。プライドがある。仲間がいる。
それを強く感じたここ数ヶ月。
自分の立ち位置に卑屈にならないのは自信があってプライドがあって仲間がいるから。
全てをやり遂げ果たそうとするのは自信があってプライドがあって仲間がいるから。
士気を高めながら自分さえも鼓舞するのは自信があってプライドがあって仲間がいるから。
儚い、けれど何かを憂いているわけではない。今の斗亜は。
仲間のため、プライドのため、そして何より自分の自信のため、今日も彼はステージに立つ。胸をシャンと張って、キリリと前を見据え、顔を上げ。
語るのが難しいひと。いろんな要素が複合されてできたオールマイティーさは一生をかけても理解できないでしょう。
でもこの1年で見違えるように何かが変わったのは伝わってくる。ほとんどを外野で過ごした私にも。
だから応援したい。そうやってこちらに思わせる訴求力。何よりも貴方の魅力です。
いつだかこんなに大人びた17歳は見たことがないとしたためたことがありました。本当に大きなおおきな17歳だったと思う。
新しい1年はどんな立派なものになるだろう。
それが今から楽しみで仕方ありません。私は、貴方が大人への歩を進めることが本当に楽しみ。
なんだってあるのだから全部使い倒してしまおう。
改めて、嶋崎斗亜くん 18歳おめでとう。
大人の仲間入りをしても希望のままであれ。